火と日の龍神祭の趣旨
私たちの幸せのため・・・
~「神縁」をつなぐための神祭~
大倭神道 神人和楽の会主宰 大真祭
「火と日の龍神祭」と「水と月の龍神祭」
(開催時期は毎年5月と10月です。詳しくは別途お知らせします)
「大真祭」(おおまのまつり)とは
八百万の神々と人が“心と心を合わせるため”の神祭りのことです。
さる平成29年10月21日に、新月の日の夕暮れより「水と月の龍神祭」を開催いたしました。
大倭神道の指導神により、この日を最良の日と定められ、水と月の龍神を称えるための神祭りが、賑々しくも厳粛に執り行われました。
「火と日の龍神祭」もまた、「大真祭り(おおまのまつり)」として、神界と人界において執り行うお祭りです。
私たちのいる自然界は様々なエネルギーに満ち溢れています。
自然界に満ち溢れるエネルギーのことを「神氣(しんき)」といいます。
神氣は、風をおこし、雲を造り、雨を降らせ、雷をおこします。また、神氣は天空に舞い、雲・山・海・川・池・湖の中に漂い、地中には水脈・樹木・岩などに籠ります。
ですから、私たちの身近にある自然界のすべては、神氣が数多く集まり重なり合った状態で出来上がっているのです。
神氣は、人の眼には決して捉えることはできませんが、神氣が数多く集まり重なり合うことで、光・水・雲・風などのように、目に見え、肌に触れることが出来、人の五感で捉えられるものへと変化するのです。
また、科学的に認識される、水素・酸素・二酸化炭素などの元素は、各種のエネルギーを動かすための「力」といえます。元素が活発に運動することで、エネルギー、すなわち神氣が放出されるのです。
この元素の大元は「素粒子」であり、霊的には「魂」といいまして、それらは意思を持ちます。
これを「神」というのです。
「神」の意志で放出されました神氣は「八百万の神」と呼び、その八百万の神々の働きが、縦横無尽に重なり活動する中で、この自然界は運営されているのです。
八百万の神々のなかでも「龍神」は、自然界の営みが円滑に潤沢に進むように活動し、天空と地上、地中の、あらゆる場所にありながら、「地球の循環」を行ってくれているのです。
地球上で水の循環が上手くおこなわれなくなった時に、自然災害が発生し、地上で暮らす私たちに時として大きな被害をもたらします。
その大半は「水」が関連していて、なんらかの理由で、地球上の水が“汚れ”たときに、健全な自然循環が行われず、災害が起きてしまうのです。
自然災害は、一旦出来上がった形を崩し、また新たに構築しようとする自然の「意志」が、そうさせるのです。
これを「神の自己浄化」と言います。
(※人の身体は「水の氣」で出来上がっていて、その水の氣を活発にさせるのが「火の氣」です。人体の水の氣と、心(意欲)の火の氣が、バランスよく整えられることで、心身共に健康で元気で過ごせるのです)
一方、その大半を「水」で占める人の身体にあっても、体内を流れる水分が“汚れた”時に、それを浄化しようとして、「病気」が引き起こるのです。
ですから、地球上の水と、私たちの身体にある水は、まったく無関係ではありません。大雨や大地震、大寒波、台風などの自然災害は、地球の“穢れ(汚れ)”を浄化するときに起こるもので、人の病気は、身体の「穢れ(汚れ)」がきっかけとなり、心身を浄化するために起こるのです。
地球上の「水の穢れ」は、地球上の「気の乱れ」により発生するもので、気の乱れは、あらゆる「悪想念」がきっかけとなって起こるものです。
「悪想念」とは「負のエネルギー」であり、霊的には「邪氣」といいます。
「邪氣」が自然界に充満することで、自然が病気になります。
自然が病気になると、自然災害が勃発するようになります。
自然界に充満する邪氣は、私たちの身体に流れる水分にも、悪い影響をもたらします。
私たちの心身に現れる病気も、自然界に充満する「邪氣」が原因になります。
私たち人間も、自然の一部でありますから、自然界の水の流れに異常をきたせば、人体の水分にも異常が発生し、病気となるのは、当然のことです。
まさに、自然と人間は「運命共同体」であり「一蓮托生」の存在であるわけです。
自然界も人と同じく生きていて息づいております。
自然界は、人の言葉は話しませんが、意思を持って、ふつふつと生きているのです。
人間は、言葉を話さないものには非常に“非情”で、「自然に心などない・・・」と勝手に決めつけて、容赦なく自然破壊を行います。これが穢れとなり、結果として私たちの命をも脅かすことになるとは、思いもよらないのです。
しかし、古神道の頃に生きていた、かつての日本人は、身の周りのすべてのものに「おかげさま」という心を手向けて大事にしていました。
自然界の氣が乱れると、人の生活や心身も大きく乱れることになる、そう知っていたからこそ、「命」という、かけがえのないものを守るために、「おかげさまでありがとうございます」と感謝の念を捧げ、良い氣を発したのです。
森羅万象のすべてを大事にすることは自然界の恵みを授かり、結果、「幸せになれる・・・」という“幸せの連鎖”を導き出したのです。
私たちは、かつての日本人のように、自然界に充満するあらゆるエネルギーを「神」と捉えて大事に思い、敬い奉るべきでありまして、私たち人間の生活は、自然界のエネルギーが清らかで健全であればこそ、繁栄するものであることを、しっかりと認識すべきなのです。
活発な水のエネルギーは「水の龍神」の働きそのものです。
そして、水の龍神は「月」の力によって“躍動”いたします。
「月」には「引力」があります。「満月」には最も強い引力が放出されて水の龍神の活動が活発化し、「新月」には引力が無くなり水の龍神の活動が沈静します。
月の満ち欠けは、地球上の水の氣の活動に、大きな影響を与えます。定期的に行われる月の満ち欠けは、縦横無尽で自由奔放な水の流れに「規則性」をもたらして、一定の「法則」を与えます。
その法則が“規律”となって、水の氣=水の龍神が勤める仕事の起動力となるのです。
「月」は、水の龍神達をまとめる「統制役」です。その「月」には統制の任務にある「大臣神」と呼ばれる神霊が座しまして、水の龍神達は大臣神の指令によって働いているのです。
一方、「火と日の龍神」は火のエネルギー体でありますが、水のエネルギーが活発に潤滑に活動するためには、欠かせない存在でもあります。
水は火によって流れ、火は水によって燃え栄えます。
天より降り注いだ雨や雪は、川や池、海となり、燦々と降り注ぐお日様の“火の氣”によって蒸発し、再び天空へ戻り、雲となってさらに再び、雨として地上に降り来るのです。
この円滑な水の循環には、“水の神氣”を助ける“火の神氣”が必要不可欠で、「火と水」という全く性格の違う、異質の“神氣”が交わることで、潤滑に円滑に活動するための「力」が発生します。
さらには互いが手を取り、力をあわせることで「活動」という力が産まれます。
これを「神力」といいます。
火の龍神の発する神氣が、水の龍神の発する神氣に加わり交わることで、まったく異なる神氣に変化し、変化した異質のエネルギーは、やがてまた、元の姿へと還るのです。
その様子はまるで、人間の営みの写しでもあるようです。
異質の存在の男女が、「情」という感情で結ばれると、子が産まれ、やがて子は育ち大人になると、かつての父母のように、それぞれの勤めに励むようになるのです。
それは私たちが、自然界の龍神達と何ら変わらない「魂」を持っているからです。
大倭神道の指導神は仰います。
『神は神の勤めに励み、人は人の勤めに励まねばなりません。
そして、実りを得るのです。
その過程では、お互いの労をねぎらい、お互いの勤めを称え合わねばなりません。
心を配り、氣を合わせることで、神と人は、和みの内に「円満」という実りを得ることができるのです。
その結果、幸せに生きることができるのです。』
また、こうも仰います。
『しかし、神は人の目に映らないものですから、見えないものに気を配ることは、難しいところでしょう。
そこに大事なものは「情」という“心の在り方”です。「情」とは、目に見えないものを、どのように視るか・・・ということです。
すなわち肉眼とは異なる“心の眼”で視る・・・ということです。
しかし、最も大事になるのは「縁」です。
何事も「縁」がなければ、どんなに努力をしても、実りませんからね・・・。』
その、神と人の「縁」を「神縁」といいます。
「神縁」とは、目に見ることのできない神を、心眼で視るために最も大事な事柄です。
しかしその「神縁」は、現代人にはずいぶん稀薄になった、とも指導神は仰せになりました。
信仰は特に、神々を「恐れ畏む」という心を先に学び、その後で作法や術を学ぶべきなのです。作法を先に学ぶと、唯物論に捉われやすくなり、ご利益信仰へと陥って「神縁」を遠ざけます。
ご利益信仰とは、まちがいなく「欲望」の現れです。本来「心」を説かねばならない宗教が、「形」を整える唯物主義へと傾き、さらには人々を他力本願へと導いて、ご利益信仰を増長させているのですから、「神縁」はますます遠ざかってしまいます。
ですがご利益信仰・唯物主義志向の環境の中でも、神々との深い「神縁」を持つ「唯心思考」の人たちも存在するのです。心を大事にし、どうやって真の信仰に身を置いたら良いのか、自分なりの信仰のスタイルを構築しているのです。
世の中には信心深い人もいれば、信仰に目もくれない人もいます。
森羅万象すべてが「陰」と「陽」に分かれ、「善」があれば「悪」もあり、決して一方が良くて他方が悪いというものではありません。これは自然の摂理であり、双方が「火と水」の氣の間柄のような「異質のエネルギー」というにすぎず、この社会が上手く運営されるためには、陰と陽のような、異なる資質を備えた者同志が、お互いの特性を認め合い、手を取り合って、上手に生きていくべきなのです。
いま私たちは、唯物思考の社会に生きながら、すべての存在は心から現れるもの、心こそが事柄の原点なのだと思いを改めて、「神縁」を取り戻さなければいけないのです。
この度の「火と日の龍神祭」は、神と人の「神縁」を取り戻す為に行うものです。
自然界と私たちの身体のほとんどは「水」のエネルギーにて構成されます。
その水のエネルギーを活発にするのは、火のエネルギーです。
火のエネルギーそのものを「火の龍神」といいまして、「日」すなわち「太陽」に座します統治神「大臣神」の下で働いています。
「火と日の龍神祭」は、私たちの身近で働く火の龍神達とともに、日の大臣神を主祭神として、神々を称えるための神祭りであり、「大真祭(おおまのまつり)」として神界と人界とにおいて同じ時に執り行われるのです。
神界では、ご祭神の大臣神を中心にして、配下にあって働く龍神達がぐるりと囲み、共に水の龍神達も参列をいたしまして、祭主を勤める神が口火を切り、お互いに日々のお勤めをねぎらい、大臣神へ命と恵みの、感謝のお言葉「祝詞」を申し上げます。
人界では、この正神之会において、神界の祭りと同じ様子と同じ趣旨で、神祭りを執り行います。神界と同じように、正神之会のご祭壇に大臣神を招魂し、ご鎮座いただいた後に、参加者全員が一丸となって、火と日の恵みに、感謝申し上げます。
ご参加のみなさまのおひとりおひとりが、火の龍神となるのです。
まさしく、神界と人界が、心をひとつにして重なり合う瞬間です。
大真祭では、以上の趣旨に添って、参集しました私たちそれぞれが、現界の日頃の勤めをねぎらい、自然の神々に守られながら生きている喜びを伝え、神々の御働きなしでは生きて行けぬことを認識したうえで、これからも深い神縁を賜りながら、幸せでありますようにと、祈願申し上げます。
参集されたみなさまと、心を込めて、祝詞を奏上いたします。
火と日の龍神界の大臣神
元光元惠大御神(もとひかりもとめぐみのおおみかみ 太陽惑星の宇宙神)
天御空大御神(あまのみそらのおおみかみ 地球成層圏の宇宙神)
神武須要之王大神(かみたけきすさのおおおかみ 龍神界の総元締)
天照和心主大神(あまてらすわこころぬしのおおかみ 夏至の神)
氣産満神稜威栄天照向津媛大神(けふむみつるいづさかきあまてらすむかつひめのおおかみ 冬至の神)
天桜宮大神(あまのさくらみやおおかみ 春季の神)
天梅宮大神(あまのうめみやおおかみ 冬季の神)
天椿宮大神(あまのつばきみやおおかみ 秋季の神)
天松宮大神(あまのまつみやおおかみ 夏季の神)
天竹宮大神(あまのたけみやのおおかみ 初春の神)
天涼清大神(あまのすずきよめのおおかみ 雨季の神)