大倭神道の神事~心と心で通じる~大倭神宝「七支神剣」

 

大倭神道の神事 ~心と心で通じる神術~ 大倭神宝「七支神剣」

 

「ご祭神からのご啓示」〜大倭神道の神事は神々と一体なり〜

【大倭の神々より授かりし 霊剣 七支神剣・中村建日の式神】


令和2年4月9日 大倭神道大阪本社にて賜りましたご啓示
大倭神道祭神「御都橘神(おとたちばなのかみ)」より

祓うだけ・・・では、ならぬ。
浄めればそれで良い・・・と、思ってもならぬ。

浄め給え 祓い給え
だけでは、ならぬぞ。

預けよ。
すべての災厄を、我等に預けよ。

預かり給え、と、願えよ。

与え給え、と、祈れよ。

これが、そなたの役目であり、
我等(神々)の役目であるのだから。

“ひとつ”ぞ。

我等とそなたが “ひとつ” であるが故にできる「技」ぞ。


このご啓示を受けた直後、まるで“憑物(つきもの)”が落ちたかのように、重かった頭が軽くなりました。

更に、この啓示のあと、大倭神道の祭神より、

「これを神事に使いなさい」

とのお言葉を賜り、ある“霊剣”を授かりました。

その「霊剣」とは、

 

「七支神剣(ななさやのみつるぎ)」 です。

「七支刀(ななつさやのたち)といえば、日本古来の氏族「物部氏」の家宝とされた、刀のことです。
奈良県の石上神宮に伝わる伝説です。

その伝説の刀と、同じものかは不明ですが、今回、大倭神道のご祭神により、

「これは七支神剣(ななさやのつるぎ)と呼びなさい」と言うお言葉とともに、授かることとなりました。
そして、指導神は、こう、付け加えられました。


「七つの枝に、七つの力、七つの神々降り来たりて、七つの禍(わざわい)治めたり」

「七つの力」とは、 「祓」  「浄」 「鎮」  「詫」「与」「封」「断(切)」 なり。

(「ふつ」「じょう」「ちん」「たく」「よ」「ほう」「だん(せつ)」

 

 

20200506nanasayat.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今日まで、多くの、様々な方の抱える悪因縁に、触れてまいりました。
そして、同時に、自分自身の悪因縁にも、向き合ってまいりました。

人ひとりの抱える因縁は、膨大で、底がありません。
そして、因縁は「衝撃的」です。

「因縁」は「因果応報」のことわりで発生します。
良いことをすれば、良い結果が返ってくるし、悪いことをすれば、その報いを受けます。

厄介なのは、「因果応報」のことわりは、一族でも共有する、と、いうことです。
よって、過去に生きていた「先祖」の言動から起こった因縁も、子孫が受け取らねばなりません。

過去に生きていた先祖が、良い行いをしたら、子孫にも良い事があります。

しかし、先祖が、悪いことをしたら・・・。

子孫も、その報いを受けなければなりません。

 

「そんなの嫌だ、知らない先祖の因縁など受け取りたくない」と、申しましても、血筋で繋がっている以上、それを逃れることはできません。

また「因縁」は、今世の「出会い」を結びます。
「悪縁」「良縁」を導き結ぶのは、すべてが「因縁」という「縁」が、きっかけとなります。
国、地域、親子、兄弟、友人、上司、同僚、そのすべての出会いを、「因縁」が、もたらします。

 

あなたにとって、あなたの身の周りの人間が、“良い人“なのか”悪い人“なのか。

その「良縁」または「悪縁」につながる出会いを、「因縁」が、操作するのです。

 

良い因縁なら良縁を。

悪い因縁なら、悪い人との出会いをもたらすのです。

どの国の、どんな地域に産まれるか。

どの地域の、どんな家に引っ越すか。

どんな両親の元に生まれるか。

どんな相手と結婚するか。

どんな学校の、どんなクラスになるか。

どの会社の、どんな上司や同僚と仕事をするのか。

 

みなさまは、これまでに、人との出会いを含めて、人生上で遭遇した様々な出来事を振り返って、「運が良かった」とか「運が悪かったな」とか、そんな感想を持ったことがあったと思います。

もちろん、あなたの考え方や性格などで、出会う人や出来事なども変わるものです。

しかし、あなたの性格や考え方が悪いからだ、と申しましても、誰も、そんな風な性格になりたい・・・と、思って産まれて来たわけではありません。

自分でも“意図しない(無意識のうちに)”ところで、自然と、そのようになったわけです。

これこそが、“因縁の為せる技”なのです。

 

もしもあなたが「自分の人生は悪いことばかりだ」と、考えていらっしゃるのならば、それは「悪因縁」が、関わっているせいだと言えるのです。

 

誰でも、どんな人でも、この「因縁」から逃れることはできません。


そんな厄介な因縁により、延々と続く、負の連鎖の、すべての原因の大元は「祟神(たたりがみ)」です。

「神」とは「自然神」のことです。

 

「悪因縁」とは、人類の長い歴史の中に、無用に、自然を汚したり、破壊する、など、過去に犯した行為により、

時代をまたがりながらも、脈々と続く、強く硬いもので、それはまるで、何本もの糸が、幾重にも固結びして解けないような、

「因縁」とは、そんな、複雑な様子を呈しております。

 

そのような、簡単には解けない複雑な因縁を、人ひとりに結びつけていくのが「祟神」なのです。

 

相手は「神通力」を持っておりますから、未来に渡る悪因縁を、人ひとりに、簡単に与える力があります。

 

私はこれまで、ご相談者の悪因縁に潜む「祟神」を、指導神のご指示に従いながら、治めてまいりました。

自分自身の抱える因縁も、同様です。

 

ですから、日々、「祟神」を治める神事を行うことがきっかけで結ばれた、様々な神霊との「縁」が、多数あります。

 

元々は、清らな自然界に在る八百万の神(精霊)ですが、人間の邪気を吸って、「邪神」に変化するのです。

「魑魅魍魎」「百鬼夜行」「妖怪」などに代表される、あの醜い姿こそが、人の邪気を吸い込んだ八百万の神の、成れの果て、なのです。

そして、邪神に変化した八百万の神(精霊)は、人に、祟るようになります。

 

邪気を与えたのは人間。

そして、その報いとして、邪気を吸って、祟神と化した八百万の神が、人間に災いを及ぼす。

 

これはまさに「因果応報」の“ことわり”で起こるものです。

 

この祟りは、子々孫々に至るまで、決して解けない、深い因縁となって、請け負わねばならない「悪因縁」と、なります。

 

これらの「祟神」は、人の手によって祟神になったわけですから、祟神を清らかにして、元のお姿へ戻すためには、人の「真心」がないと、浄められません。

 

その「真心」を示す方法はというと「お詫びすること・・・」だとして、相談者に、近所の神社にお詫び行脚を勧める霊能者も居るそうですが、

そもそも、日々の生活の中でも、真心の伴わない人物が、いくら相談者に「お詫び」を強要したところで、何になりましょうや。

 

そもそも、何故、お詫びのお参りが必要なのか・・・を、説得する力がなければ、それこそ「真心からお参りする」という行為には至らないでしょう。

 

神々は、人間の「言葉」を、聞いているわけではありません。

神々は、人間の「心の声」を、聞いているのです。

 

上っ面ばかりを整わせて、身なりだけを綺麗にしていても、心が汚れていては、何の意味もないのです。

 

では何故、人の真心で、祟神は治るのでしょうか。

 

それもまた、「因果応報」のことわり、だからです。

 

人の心の間違いで発生した祟りは、正しい人の心を持って、「祈ること」でしか、治らないのです。

これもまた「因果応報」のことわり、なのです。

 

しかもそれは、見せかけだけの、心を抜いた「形式」だけの祈りであっては、解決しません。

 

「真心」を抜きにして、どんな呪術を使おうが、どんな仏に祈祷しようが、どんな祝詞を奏上しようが、悪因縁の原因である「祟神」を、治めることはできません。

この「真心」、「人の心」が、大事なのです。

 

心のこもっていない、神術や神事などでは、意味が無いのです。

ですから私は、なによりも、「祟神」に向き合う「真心」が、最も大事と胸に刻み、大倭神道の指導神に、指示を受けながら、ご相談者と自分自身の抱える悪因縁に、向き合ってきたのです。

 

「真心」が通じると、まるで暗雲が晴れて、その雲の切れ間から、燦々と、日の光が差し込むようなイメージを受けることができます。

長年に渡り、のたうちまわり、苦痛な様子の祟神が、元の清らな姿へ戻り、安堵の気に変わる、瞬間です。

 

そんな、一連の「祟神の浄化神事」もまた、私にとっては、大事な「縁」と、なります。
単に、「神社にお詣りに来ました〜」というような、「出会うだけ」の「縁」とは違って、“心と心で結ばれる”「縁」で、あるのです。

 

相手と自分が、心と心で結ばれる・・・。

これこそが、まさに「良縁」と言えるものです。

 

「祟神浄化神事」で賜りました「良縁」が、きっかけとなりまして、「元 祟神」が、私の「式神」として、更に、次の案件の悪因縁に潜む、新たな「祟神」の浄化神事を、助けてくれるのです。

大倭神道で言う「式神(しきがみ)」とは、常に「審神者(さにわ)」と、共に在るもので、「審神者」の心身を、昼夜問わずガードし、「審神者」の行う「神事」を補助します。

 

「式神」は、自然神であり「精霊」でもあり、「八百万の神」とも言います。

龍、犬、猪、鹿、兎、鬼、鳥、馬、狐など、様々な霊体が、それぞれの「得意分野」を持って、式神の任務にあたっております。

ryuujinn.jpg

「式神隊」を統括する「隊長」は、「宝作次郎神(たからさくじろうのかみ)」と言いまして、まだ私がサラリーマンだった頃、すでに、「第一号の式神」として連れ添ってくれました。
それ以降も、常に、側に居てくれておりました。

まるで私が、サラリーマンを辞めて、この道へ入ることを、事前に察知していたかのようです・・・。

 

「宝作次郎神」は、これまで、色んな状況に即して動いてくれておりまして、数多くの式神を頂戴した今では、「宝作次郎神」の号令により、様々な種類の神力を持った「式神」が、活動してくれております。

「宝作次郎神」・・・。
この数奇な縁は、私にとって、かけがえの無い、とても大事な縁でありました。

 

この度の、大倭神道の指導神より請け賜りました「七支神剣」は、これらの「式神」が在るからこそ、与えられたものです。

 

前述の通り、「七つの枝に宿る、七つの神の七つの力」とは、「祓」「浄」「鎮」「詫」「与」「封」「断(切)」の力ですが、この力は、

「式神」の持つ「気(エネルギー)」ですから、実際に存在する剣ではなく、実態のない「霊剣」であるのです。

 

そしてこれらの「気(エネルギー)」は、人の世のすべての、悪縁、悪因縁を断つために行うご神事の、最も必要で、大事な要素であります。

 


【先祖から子孫へと受け継がれる“いにしえの縁”】

私は、百姓のセガレで、田舎育ちです。
人間社会の中では、身分も低く、学力や知能も低い人間です。
こんな血筋の卑しい者が、かつての貴族であった、物部氏の伝説の宝刀を授かるなど、変なお話しですよね。

でも、古代の歴史に残る氏族は、長い歴史の中で枝分かれを果たし、名前も変えた上で、日本全国に散らばって、末裔に、その血を引き継いでいるのです。

私は今日まで、自分自身の抱える「因縁」について、調べを進めてまいりました。

私の先祖は、どんな人達であったのか・・・。

今世の私の身の不幸は、先祖の、どのような悪い因縁が、現代の私に関わっているのか、を、調べてまいりました。

 

そんな中、先祖因縁を知るきっかけになったのは、大阪に祈祷所を設けたところから、一気に火が点いたように思います。

大阪で最初の祈祷所は、大阪市北区にありました。
ある、ご信心の厚いご神縁者のお計らいで、大阪に進出を果たすことができました。

数年後、そこからまた、更に別のご神縁者のお計らいで、高槻市へ引っ越しました。

それからは、更に加速して、私の先祖の因縁を知ることができました。


以前の場所では、大阪や兵庫に関わる土地の因縁が多かったのですが、高槻市へ移転してからは、奈良と京都に関わる自分自身の因縁が、まるで堰を切ったように、一気に、噴出いたしました。

やはり私の先祖は、奈良と京都に、深く関わっておりました。

そう考えると、九州から大阪へやってまいりましたのが、決して、偶然ではなかった・・・と、いうことになります。
まるで、目に見えない引力に、知らず知らずのうちに、ひっ張られたようで、数奇な縁を感じます。

 

「古代の豪族 中臣氏 の先祖因縁」

これまでの調べで、私の先祖は「中臣氏(なかとみうじ)」という、古代の豪族であたことが判明いたしました。

「中臣氏」というと、「物部氏(もののべ)氏」と共に“神道擁護“の立場で、かつての”仏教推進派“の「蘇我(そが)氏」や「聖徳太子」との、権力闘争により、一戦交えた一族です。

みなさまご存知の通り、「蘇我氏」に軍配が上がり、「物部氏」は滅亡いたしました。

神道を信仰するみなさまは、あるいはこの一件に、特別な感情を抱いていらっしゃる方もおられると思いますが、

私の霊査によると、この頃の人心はすでに、身分の差に苦しむ民や、権力や栄誉に、欲を張る者があり、

そのせいで、その時代の諸外国にも見られたような、混沌とした世の中に、向かいつつあったのだそうです。

その悪い流れを止めるためには、「仏教の教え」が、必要であったのだそうです。


すでに「唯物主義」に、舵を切り始めていた日本の国は、蘇我氏などの崇仏派によって救われた・・・とも、言えるのです。

これも“時代の流れ“です。


古来日本の、二つの豪族「物部氏」は、“軍事“を担い、「中臣氏」は”神祇(じんぎ)”を司りました。

古来における政治では、神々の祭りを司る「神祇官じんぎかん」と、行政全般を管轄する「太政官だいじょうかん」の二官が制定されました。

宮中における「神祇の祭祀行事」は、大変重要なまつりごとで、国家安泰には欠かせないものでありました。

国家安泰の祈りと、五穀豊穣の祈りに関する神事を、朝廷の中でも、最も大事な宮中行事として、行われました。

歴史によると、神道擁護の身であったはずの中臣氏は、蘇我氏の滅亡のあとは、仏教推進の立場に転身したようです。

現代でも、中臣氏ゆかりの寺院も、数多く残ります。

神祇を担いながらも、仏教にくら替えした背景には、仏教の教典と、外国より取り入れる種々の文化が、当時の日本国には、重要であった・・・、と、いうことでしょう。

グローバル化に盛り上がる朝廷と、文明開化に沸く社会の波には、いくら神道擁護派であったとしても、逆らえない事情があったのだろうと考えます。

私の指導神は、先祖や前世などの「過去」の出来事を調べるならば、当時の人の「性格」を読み、「心」を知る努力をしなさい・・・
と、おっしゃいました。

ネットや書籍で、「史実」は分かったとしても、それが“本当”とは限らない。
事実を、様々な人間の意図で、ねじ曲げられて伝えられているものだ・・・と、教えてくださいました。

ですから、私はすべて、その土地に出向くようにしております。
歴史を、あらかじめ調べることも致しません。

直接その場所へ行って、その場の“気“を感じることで、歴史の本では伝わらない、当時の人々の声が聞こえてきます。

そして、指導神のおっしゃった「心」を、知ることができるのです。

そうすると、歴史の本からは理解できない、驚くべきことが判明しまして、それはそれで、楽しいものでもあります。


私の先祖でありました「中臣氏」一族の抱える因縁は、深く難しいものでありました。

かつて、祭祀を司る神祇官の勤めにあった、私の先祖でありますので、私自身にも、その幾らばかりかの血は流れているわけですが、それにしましても、「目に見えない心」を、祭祀を通じて表現するには、大変な苦労があったろうと考えます。

ましてや朝廷にて、国家の未来を占う任務であったわけですから、当然、ストレスも多いにあったのだろうと、考えます。

私も、おぼろげながら、先祖と同類の仕事をしているわけですから、「無」を形に成して、他人が認めるような祭祀のスタイルを創出するための努力は、理解しているつもりです。


そんな私が、「七支刀」を、神々より授与されるのは、道理なのかもしれません。


【神人和楽の世の実現に向けて】


その他も、私は今日まで、自分の血筋に関わる数々の霊的な課題に向き合ってまいりました。

目的はただひとつ「神と人の垣根を取り去るため」です。

大倭神道の最大の目的は「神人和楽(しんじんわらく)の世の実現」です。

「神人和楽」とは、神と人が、心をひとつにして生きる・・・と、いうことです。
人間は、「神々の働きをもって生かされている」という認識を持って、日々「感謝」しながら生きていくことで、「和」が保たれ、「楽」になる、すなわち「幸せ」になれる、ということです。

この場合の「神」とは、物語に出てくる、「絵に描いた神」ではありません。

神社という聖域に祀られている神でもありません。

戦国武将や著名人を称えて祀られている神社ではありません。

まさに「生きている神」のことで、私達の命を育む「自然界」のことです。

太陽、月、海、川、山、谷、樹木・・・これらの、「生きている自然」が豊かであるからこそ、私たちの生命は、保証されるのです。

この、豊かな生命に欠かす事のできない「自然界」を、「神」と捉え、敬い、大事にして、感謝することで、神と人の垣根が無くなり、「神人和楽の世」が、実現するのです。

こういった考え方や文化を、ひとつの思想・宗教として捉えると「古神道(こしんとう)」という言葉で表現できます。

「古神道」は、日本国の古き思想であり、外来宗教が輸入される以前の「日本国の原始宗教」と、説明されます。

しかしそれは、実は、大きな間違いです。

そもそも、古代に於いては、現代のように、人間を超越した存在を「神」と言い表すこともなく、〜「神」は敬い奉るもの〜というような「決まり事」さえもなかった時代のものですから、およそ言葉では表現できないような高い神秘性を秘めるも、人間とは、明らかに異なる、人の生命の根源である「それ」は、「共に在り、共に生きるもの」として、人間にとっては、無くてはならない、最も大事な存在で、最も身近にあるものであると、捉えていたのです。

現代人は、「神」は、”全知全能“、なんでも知っていて、何もかもお見通しで、高貴で偉い身分で、手の届かない、はるか遠くの高いところに居て、人間が困っていると微笑みながら救っくれる・・・、それこそが「神」だと、信じています。

だから、納得のいかない、非条理な物事があると「神も仏もない」と、怒りをあらわにするのです。

そう言った思想は、「大乗仏教」や「キリスト教」などの思想から私たちに植え付けられた、「宗教観」と言うものです。

「古神道」という言葉は、現代の「神社神道」と比較するために創られた言葉で、厳密に言うと「平安時代以降」より、江戸時代末期までの「宮中祭祀」「宗教文化」を指して言います。

私が考える、本当の「古神道」とは、外来の仏教などの宗教伝来が無かった昔、古代人のすべてが持っていた「感性」そのものであったと考えます。

古代人が持っていた「感性」とは、現代のわかりやすい言葉で言うと「インスピレーション」「テレパシー」「霊感」「神感」「神観」とも、表現するもので、言葉などの五感を超越した、卓越した「人間の能力」を言うのです。

telepa.jpg

平安時代よりも以前、物部や中臣などの豪族が馳せる頃よりも、ずっと前の時代に、日本列島に住む住人のすべてが持っていた「感性」・・・。

その「感性」そのものが、そもそもの「原始神道」であったのです。

私たち現代人は、自分の心を、言葉や文字など「形」を使って表現します。

自分の意思を相手に伝える方法は、言葉や文字、身振り手振りだけ・・・と、考えています。

宗教者の、神仏の在り方を信者に伝えるための方法と言えば、教義、教理、経典、形式、作法やルール、献金など、目に見せて、耳に聞こえさせるものにしか、その術を持ち合わせておりません。

古代の人が、誰もが持っていた「感性」が、消え失せた現代では、「心」と「心」で対話することは、すっかり無くなってしまい、あろうことか「心」の存在さえも、否定する世の中となりました。

科学や医学などが、急速に発展した現代にあっては、目に見えない「心」「心霊」の分野への研究がなされなくなりました。

本来、「心」や「心霊」を、教え伝える役目にあるはずの「宗教」は、「モノ」を祀ることだけに固執して、最も大事な「心」の説明が、なされなくなりました。
いつしか信仰は、「死を間近にした年寄りがやるもの」と、捉えるようになり、若い人を、遠ざけてしまったのです。

だって、お金を持っているのは「年寄り」ですから・・・。

若い人は、お金を持ってませんので、宗教界には、年寄りの方が、都合が良かったのでしょう。

そうすると、大勢は、「信仰は古臭い」「妄想」「幻想」「金儲け」などと批判し、まるで宗教は「不幸」の代名詞であるかのような扱いを持って、向き合うことさえも、なくなってまいりました。

「心」こそが万物の基本であることを、万民に教える勤めを担うべき宗教界が、本当の「神仏の御心」を、台無しにした、張本人なのです。

そして、全世界を「心の闇」に陥れた、新型コロナウイルスの猛威についても、政治が、国民の「心」に焦点を当て、人々が、心配や不安に陥らないように、国民の心を思い量り、大事にする政策を推し進めることができたなら、このような混乱も最小限にとどまり、感染者も少数でおさまるはずなのです。

きっと「コロナ鬱」なる言葉も、聞くことは、なかったでしょう。

かつての日本のように、政治が、「国民の無事と国家繁栄を、神々へ祈り奉る」という行為を持っても、良いのではないでしょうか。

「神国日本」としての誇りを持って政治にあたると、国民の心に寄り添うことになるのではないか・・・と、思うのです。

現代は「心理学」の研究も進んでいます。
感染症やウイルスの専門学者は、こういった混乱が起こった時に、人々はどんな行為に走るのか、その時の人の心理も含めて、対策を講じることが、何よりも大事なのです。

心理さえ理解できれば、予測と予見ができます。

そうすると、様々な対策が事前に打てるので、マスクの不足、医療機関の検査キットや防護服の不足などで、大混乱が起こることはなかったのです。

古代のように「シャーマン」などで代表する「占い」「霊感」などを行わずとも、科学が発展した現代に相応しい、祭祀のスタイルがあるのではないか、と、考えます。

今の世の中に、最も不足しているのは、お金や資材などでは無く、「心」、そのものです。


実は、「古代日本人」の行った古神道には、この「心」が、生きていたのです。

目に見えない、人の心。
目に見えない、自然神の心(意思)。
地球上の生命の基礎である、宇宙の心(意志)。

古代人は、目には目ない様々な「心」を読み、当たり前のように、知ることができていたのです。

これこそが、原始の「古神道」と言えるもので、これこそが、日本の本当の姿「大倭神道(やまとしんとう)」であります。

最後に、大倭神道の祭神・指導神は、このように、告げられました。

 

『御都橘神のご啓示』

神々と共に在れ、神々と共に生き、神々と共に栄へんと願ふ

これこそが、

    まことの大倭ぞ・・・。

    まことの大倭の国ぞ・・・。

    まことの大倭の民ぞ・・・・

 

 

 

今日の予定