「私と神様」第一部

「私と神様」 第一部

 


私と神様


~ 第一章 私の幼年期体験 お店のお客さん ~


 201707TV1.png


私の田舎は熊本県のはずれにあって、四方を小高い山に囲まれたのどかな農村部です。


実家は、そんな集落で唯一、お店を営んでおりました。


食料品、お酒、タバコ、塩、農作業用品、歯ブラシから洗剤、靴下や雨靴まで、集落の人に必要と思われるもの全てを取り扱っていて、ちょうど今のコンビニエンスストアーの原点とも思われるものでした。


 


夕刻になると、村中から、ご婦人が集まって来て、井戸端会議なども始まり、家が揺らぐような高らかな声が、窓ガラスを揺さぶるかのような激しさで、お店の中は大変な賑わいでした。


私といえば、ご婦人方の発する甲高い声に、両手で耳を押さえながら、激しいおばさんパワーに圧倒されて、たじろいていたことを思い出します。


 


夕食の買い物を済ませたご婦人の来店の後は、山で仕事を終えた、おじさんたちのご来店です。


当時は山林事業が最盛期の頃で、私の村の近隣の方達は、農業か林業で生計を立てておられました。


 


朝早くから山中に入り、黙々と仕事をこなし、やっと長い一日が終わったところの家路の途中で、お店に立ち寄り、お互いをねぎらう事を、日常としていました。


 


お店では、コップで焼酎のお湯割を出します。


おじさんたちはお店に並ぶ、ちくわやてんぷら、魚肉ソーセージなどの食品を手にとり、お酒のつまみにします。


そして、店中に陣を取って、木製の丸椅子に座り、ひざを突き合わせて論議に花を咲かせます。


おじさん達は、汚れた作業服が、あちらこちらと破れていたり、日焼けで赤いのか、飲み過ぎで赤いのか、やけにテカテカした艶の良いお顔をしていたり、前歯が抜けて、何となく間抜けな感じだけど、肩や背中は筋肉隆々で、いかにも「猛者」という名が合うような雰囲気を醸し出しております。


 


おじさんたちの話の内容は様々です。


ほぼ、毎日集まって話をするのに、よくもこれだけの話題があるものだと、幼心に感心しながら聞いておりました。


 


そんな話題の中で、時には、「山の神様の祟り」にまつわる話や、山道の途中で、「不思議な体験」をしたことなども、話題になっていました。


最近は、そのような非現実的な話は、嫌われる傾向にありますが、私の田舎のこの時代では、誰も咎めることなく、平然と、当たり前のように、集いの席で話題にされておりました。


 


そんな話があるときは、私も大人たちに交わって、聞き耳を立てていたことを思い出します。


 


残念ながら、どんなお話だったかは覚えておりません。


ただ、今でもしっかり記憶にあることは、おじさん達の、「目に見えないもの」への「感謝」と「気遣い」です。


おじさん達は、山の恵みが商いであり、生活の基盤であるのです。


もし、恵みをもたらす山に、なんらかの理由で立ち入れなくなった時は、たちまち生活に困ってしまうのです。


ですから、山は、自分の「命」以上に大事なところなのです。


だからこそ、「気遣い」を忘れません。


その他、川や樹木や井戸、など、生活の身近にある「自然界の造形物」を、まるで「人」のように捉えて、「人」に対する気遣いで接するのです。


おじさん達が、山で、安全に無事に仕事を行うためには、山の神様の領域を、穢したり荒らさないようにすることが、基本的なマナーであって、そのルールを侵すと、自身に、災いが降りかかることを信じていたのです。


「山の恵みのお陰で、私たちは暮らしていくことができる・・・、だからこそ、穢してはいけない、荒らしてはいけない・・・」と、常に考えていたのです。


まるで山が「人のように生きている・・・」と、想像することで、自然を敬い大事にすることが出来るのです。


そして、「今日も、一日無事に仕事ができたのは、山の神様のおかげだ・・・」と、手を合わせ感謝します。


おじさん達は、自分なりの、神様に対する「想い」をそれぞれで持っていて、その思いを皆で話し合って、お互いが、神様へ手向けるための心構えを共有しようと、意識で図っていたように思います。


それはまるで、「だれ一人とも怪我をすることなく、みんなが共に、無事でがんばろうな・・・」と、声を掛け合って、助け合っているかのようにも思えました。


これもまた、厳しい自然界と共に、生きるための「知恵」と「工夫」であったのでしょう。


 


私が今日、神様と向き合う気持ち、神仏をお奉りする心は、まちがいなくこのおじさん達にも、影響を受けたものと考えます。


 


私と神様


~ 第二章 私の幼年期体験 炭焼き窯の神様 ~


sumiyakikama.jpg 


当時、私の田舎では、「炭焼き窯」を方々で見かけることができました。


「炭焼き窯」とは、粘土質の土に水を適度に加え、その土を上積みしながら固め形成するもので、窯の中は、大量の木の枝を、詰るための空間が造られます。


また、煙が出るための煙突も設置されます。


窯には雨をしのげるように、簡単な屋根が、取りつけられます。


 


それらは「炭焼き小屋」と呼ばれます。


窯の内部には、たくさんの木の枝が詰められて、火が入れられ、燃える火の加減を調整しながら、数日後には、「カラン」と実に爽やかな音を奏でる、黒々とした立派な「炭」が出来上がります。


 


その「炭焼き窯」は、私の田舎では、「神聖なもの」として考えられていました。


そして当時は、よく、大人たちに聞かされていたことがあります。


それは「炭焼き窯におしっこをかけると局部が腫れるよ」というものでした。


幼心でも、にわかに信じることができない話でしたが、目に見えないものへの恐怖心も手伝ってか、大人の教えは忠実に守っておりました。


 


そんな中、実はこの話が真実であることを、身をもって体験することになりました。


あろうことか、ある日、むくむくと、いたずら心が湧き上がり、窯の頂上部分に向けておしっこをかけてしまったのです。


しかし、その後も何事もなく、普段どおり、近所の子供達と遊ぶことができました。


「なんだ・・・やっぱりどうもないじゃないか・・・」


そういった思いを抱きつつ、そのうちに忘れておりました。


 


しかし、数日経った日の朝、起きてみると、下半身に違和感を覚えました。


泣きながら母に訴え、下着をおろしてみると、なんと、局部が真っ赤に腫れあがっています。


まるで、信楽焼きの「たぬき」そのものです。


聞きつけた私の父は全く慌てる様子もなく、「ほっといても直る!」と言い放ちました。


今にしてみれば父の言動は、非情のようにも感じられますが、しかし、父の言う通りでした。


2~3日後には、すっかり腫れも引いて、元通りになったのです。


その間は、下着を身に着けることができなくて、家にこもって、熱が篭った局部を団扇でパタパタと扇いだり、氷水で冷やしたりと、そういうことに専念しておりました。


 


しかし、数年後に聞いた話によると、その時、冷たいことを申した父は、あれからさっそくお酒を1升かかえ、私がおしっこをかけた炭焼き窯にコップ一杯のお酒と一升瓶をお供えし、窯の神様にお許しをいただけるように、手を合わせていたのだそうです。


父は昔の人間で無骨者ですが、父のとった行動は、父なりの愛情表現でありました。


大人になって、その事件を回想しましたときに初めて、父の事を「ありがたいものでかけがえのないもの・・・」と、思えるようになりました。


 


当時は「炭焼き窯」に「神様が宿る」と考えられておりました。


炭焼き小屋には荒神様のお札が貼ってありました。


また、窯を所有する家での、お祝い事や、お正月などの特別な日には、必ず、炭焼き小屋に、お供え物があがっておりました。


日本では、古くから「八百万の神」と言われるように、生活に重要で、かつ、意味を持つそれらには、必ず神霊が宿り、その神のご加護の元に生きていけることを、昔の人は知っていたのです。


 


それは、案に、「炭焼き窯を作れば、勝手に神様が宿るから・・・」という理由ではありません。


炭焼窯では、長時間にわたり、火が入りますから「出火して火事にならないように・・・」という祈りと、当時は炭の価値が高かったことから「良い炭ができるように・・・」と願う気持ちが、炭小屋を「大事にせねばならぬ」という、「敬う」ことと「恐れる」という心情に発展して、信仰の対象になったものと考えられます。


私は「物を大事にする・・・」という人々の精神は、とても神聖なもので、「その精神に神霊が宿るのである」と、考えております。


だからこそ、その神聖な精神に対して不敬をしますと、その見返りとして、災いが襲ってくるのです。


そういった日本人古来の思想はこれからも大切にして、子孫にも語り継ぐべき、重要な事と考えております。


神仏を敬い大事にする・・・と、いうことは、いくら頭で考えてみましても、具体的な理解にはなかなか、至りにくいと思います。

 

だからこそ、親から子へと、受け継がなければならないのです。


山で仕事を終えたおじさん達もまた「山の神様を怒らせないように・・・」と、気遣いながら、目に見えない絶対的な存在に、山に入る自分たちが、不敬の所業を慎むことこそが、山の恵みをいただくための、最低限のマナーなのだと考えていたのです。


それらは、決して理屈ではなく、きっと、代々受け継がれた精神であったのでしょう。


まさに、様々な経験を通して得た知識でありました。


そういった大人たちの姿や行いは、善きも悪しきも、次代の子供達に受け継がれるのです。


子供達は、神仏や自然に手を合わせる大人の姿を見ることで、真似るようになります。


それはきっと、目には見えない「心」と「心」との「ふれあい」を学ぶことになるのです。


子供達は、「心」を大事にすることを身に付けることで、やがて、人に対する「気遣い」と「思いやり」を持ってやさしく穏やかな人生を送るようになるのです。


そうすると、きっと、この世の中から「争い」とか「いがみ合い」や「戦争」などが無くなるのです。


心を思い、心に寄り添うための考え方こそが、「信仰」というのです。


「信仰」とは、心を大事にして、心を尊重するための手段です。


今の時代に大きく欠落した私達の「基本的な信仰心」・・・


忘れないようにしたいですね。


 


私と神様


~ 第三章 私の幼年期体験 土葬と火の玉 ~


 


昭和35年位まで、私の村でも「土葬」が行われていました。


私は、それよりも後期の生まれですから、実際目に触れることはありませんでしたが、母から聞いた話によると、土葬は決して気持ちの良いものではなかったと言います。


 


通常は死後硬直で固まった遺体を折り曲げ、大きな桶(おけ)状の棺にひざ」を抱えるように収められ、墓場まで村人が総出で運んだのだそうです。


 


棺おけには、丸いふたがかぶせられ、棺おけの上部に四角い柱が渡されその前後を村でも若手の男衆が担ぎ、その後ろに位牌を持った喪主が立ち、造花を持った者、ご飯や団子などのお供え物を持った者、五色の旗を持った者、藁で作った草履を持った者などが墓場までのみちのりを、行列になって練り歩きます。


 


行列の先頭は、鐘を持ったお坊さんが、お経を唱えながら歩きます。


墓場では、あらかじめ当番制で決められた男衆が、穴を掘っていて、棺おけが到着するのを待っています。


一行が到着すると、お坊さんの指示により、墓穴に棺おけが入ります。


母によると、思うように深くは掘ってなかった・・・といいます。


また、墓穴を見下ろすと、穴の中には白骨が見えていることもあったそうで、既に先人が埋められている場所を掘り起こした・・・という事も、決してめずらしくはなかったそうです。


棺おけが墓穴に納まりますと、まず遺族が棺おけの上に素手ですくった土を蒔くのですが、墓穴を掘った際、盛り上げられた土の中にも、誰ともわからない白骨が紛れていたそうです。


 


一切の儀式が終わった後は、決して後ろを振り返ることなく、去らなければなりません。


振り返ると、死者に呼び込まれると、固く信じられていたからです。


 


葬式が終わると、夏場で数日、冬場で数週間のうちに「火の玉」が出没します。


 


それらは、夜間に目撃されるものですが、当時は村の上空をふわふわと飛んでいる火の玉を見かけることも、めずらしくなかったようです。


 


現代ではその「火の玉」の正体は「遺体が腐敗するとき」に発生する「リン」という物質であることが確認されていますが、当時の人々は「火の玉=死者の魂」と考えていましたから、突然、火の玉を目撃した時は、想像を絶するパニック状態に、陥ったに違いありません。


 


そんな話を、母は平然と話しておりましたが、一度だけ怖い思いをした経験があったそうです。


それは、行き場を迷っているかのように、まるで、空を「徘徊」しているような、ひとつの「火の玉」が、我が家の屋根の上空で「す~っ」と消えたことがあったそうです。


母は、「そのときは、さすがに肝をつぶした・・・」と、申しておりました。


hinotama.jpg 


なぜならば、「家屋の屋根の上で火の玉が消えると、その家で、近いうちに死人が出る


と、昔からの言い伝えがあったからです。


 


ですが、幸いなことに、我が家では短期で死人が出る事はありませんでした。


この一件から、しばらくは村中で、ひそひそと話し会われていたそうです。


 


「中村さんちの誰かが死ぬ」なんて


 

 syugyoso.jpg

 


 


私と神様


~ 第四章 私の幼年期体験 隣のおじいさん ~


 


あれは私が3~4才のころだったと思います。


私の実家の前は車道が通っており、車道の向こう側には、道に添うように、きれいな小川が流れています。


 


その小川を渡って、しばらく歩くと、老夫婦が住まう家がありました。


その老夫婦は自他共に認めるおしどり夫婦で、私も近所のお付き合いでよく可愛がってもらいました。


気さくで、とてもやさしい、その夫婦のことが大好きで、暇さえあれば遊びに行っておりました。


 


遊びに行ったとき、一度、びっくりする光景を目の当たりにしたことがあります。


それは、ある暑い夏の日の日暮れ時、おじいさんが縁側で爪切りをしていました。


その爪の切り方が、とてもショッキングで、今でも脳裏から離れません。


 


縁側に腰を下ろして、片足の膝を折り、背中を丸めて前かがみになり、足の爪を切っていたのですが、覗いて見ますと、なんと、爪切りではなく「せん定ばさみ」で切っているんです。


しかもとても上手い具合に、ま~るく


 


私はびっくりしまして、「痛くないの?」と、たずねた程です。


しかし、おじいさんはいつものようにニコニコしながら、無言で、いかにも固そうな足の爪を、上手に切っていました。


そんなおじいさんも、年のせいでしょう。


たびたび体調を崩しまして、入退院を繰り返していました。


そんなある日、退院してきたおじいさんと久しぶりに遭遇しました。


私は小川で遊んでおり、おじいさんは、川上にある自宅から自転車を押しながら下ってきました。


 


その小川に架かる小さな橋の上で、私とおじいさんとすれ違ったのですが、何だか、いつもと勝手が違います。


あきらかに、おじいさんの「存在感」を感じられないのです。


それはまるで、おじいさんがこの世の人ではないような、そんな感じがしてしまったのです。


私は「良からぬ者・・・」を見たかのような気がしまして、驚きと恐怖感に、戸惑いを覚えました。


そのときはまだ幼い私。


その意味が理解できるはずがありません。


今当時を思い出して、その時のおじいさんの様子を思い出すと、それは、おじいさんの生気がすっぽりと抜けてしまっていた状態であったと、思われます。


俗に「影が薄い・・・」と申しますが、今考えると、その言葉はまさに、そのおじいさんを指すものだろうと、考えます。


 


その時は、おじいさんが、とても小さく見えました。


そして肌の色が、真っ白というよりも、まるで「無色透明」といいますか・・・。


おじいさんの体を通して、後ろの背景も、透けて見えるような感じです。


 


いつもと違う、ただならぬ雰囲気に、私は、無言で、食い入るように、見つめておりました。


それから数日のちに、緊急入院したおじいさんは、帰らぬ人となりました。

ojisan.png


 


私と神様


~ 第五章 私の幼年期体験 村の地蔵堂  ~


 


私の村に、地蔵堂があります。


小さな地蔵堂ですが、あたりに民家はなく、少々騒いでも怒られない、子供にはかっこうの遊び場でした。


 


秋になると境内にある「しいの実」が、たわわに実って、落ちた実を拾っては母にねだって、フライパンで炒ってもらい、おいしくいただいておりました。


 


その地蔵堂におられるお地蔵様は、なぜか、赤い顔、赤い体、をしておられます。


子供の頃は、このお地蔵様がとても怖くて仕方ありませんでした。


幼心に、このお地蔵様の赤い色が、まるで、「赤鬼」のように思えました。


そして、「血」を、にわかに連想しておりました。


とにかく怖くて恐ろしくて・・・、お地蔵様をまともに見上げることができなかったことを覚えております。


ですが母は、「あのお地蔵様はとても子供が大好きな仏様だからあなたはお地蔵様のためにも、あそこで遊んであげてね・・・」などと申しておりました。


あんなに怖いお地蔵様なのに・・・、なぜ母は「子供が好きな仏様」などと言うのか・・・。


幼い私には、理解できませんでした。


しかし、私はそんな母の言葉に心惹かれ、なるべく仏様の顔を見ないように努めながら、常に、怖いお地蔵様の気配を感じつつ、遊んでおりました。


いまから思うと、当時の幼い私には、この地蔵堂の前で遊ぶことは、結構、ストレスのかかる時間であったようです。


 


次第に年を重ねるにつれ、そんな事もすっかり忘れ去った私は、大人になって自分の子供が産れたとき、ふと幼かった時の思い出と、その地蔵堂に関わる母の言葉などを思い出しました。


そして、ある日の帰郷の際に、子供達を連れて、詣でることにしました。


怖かった当時の思い出は、大人になっても消えることがなく、私にとっては、一大決心でした。


実家から、子供と一緒に歩いても、片道20分もかかりません。


久しぶり詣でた地蔵堂は、古かったお堂も建て直してあって、見違えるほどの、立派な建物に変わっておりました。


私は子供たちと、お堂のお地蔵様の前に座って、恐る恐るお顔を見上げたのです。


お地蔵様は当時のまま、何も変わらず、昔のままのお姿でした。


お顔も赤いし、お姿も、やはり、赤いままでした。


あんなに怖くて、まともに見ることができなかったお地蔵様のお顔を、大人になった今、しっかりと、まじまじと拝見することができました。


そうすると、どうでしょう・・・


私は深いため息の後、まるで身体と心の緊張の糸が、ぷつんと切れるような、脱力感に襲われました。


「あー、なぜあの当時は、あんなに怖くて仕方なかったのだろう・・・。


こんなに安らぎに満ちた、やさしいお顔なのに・・・」


当時は、あんなにここで遊んだのに、産まれて初めて直視したそのお顔は、とてもにこやかで、体全体から「慈愛」の念が出て、漂っているのです。


「あ~どうして、こんなにやさしい仏様を、まともに見ることができなかったのだろう


私は、なんとも言えない気持ちで、しばらくの間、子供と共に魅入っておりました。


 


お地蔵様を見つめながら当時が思い出され、母が申していた、あの言葉が、脳裏に浮かび上がります。


 


「子供が大好きな仏様だから、あなたは、あそこで、遊んであげてね・・・」


 


私は、この言葉を噛みしめながら、隣に座る二人の我が子に、母と同じように告げました。


 


「この仏様は、この村で生まれた全ての子供の守り神だから、きっとおまえ達のことも守ってくださるよ。


よーくお参りして、帰ろうね・・・」


私の言葉を耳にした子供たちは、神妙な面持ちで、お地蔵様のお顔に、魅入っておりました。


私は、そんな子供たちが大変ほほえましく、幼いころ母から聞いた言葉を、再び幼い我が子に伝えられたことを、大変うれしく思いました。


また、「縁」の不思議さと、奥深さを感じて、例えようのない感動を、胸に噛みしめておりました。


大人になった私の目の前に、幼いころと何も変わらずいらっしゃる、お地蔵様のお姿を目の前にしながら、とてもありがたい思いに浸りました。


私自身が、やさしく、慈しみに満ちあふれた人になれたような気がしました。


そんな一時をすごしました。

ojizosama.gif


それから十数年経った今、「審神者」としての職にある私が、この一件に改めて審神者術を施したところ、この一連の思い出には、実は、私の前世と、今世の母との、「縁」についての、とても深い意味があったことを知ることになりました。


なぜ、母は私に、このお地蔵様のところで遊べと言ったのか・・・。


そしてなぜ、幼いころの私は、意味なくこの赤いお顔のお地蔵様を、あんなに怖がっていたのか・・・。


そのことに秘められた、私の前世に関する、ある重大な因縁が、わかったのです。


それはまた、いずれの機会に・・・。


 


私と神様


~ 第六章 私の幼年期体験 私の家族 良縁に恵まれる条件とは ~


私の母は、いくらばかりの「霊感」があったようで、病人の身体などを、手の平でさすりながらお経を唱え、病状を和らげるようなことをやっておりました。


病弱だった私も、母の手にかかると、とても身体が楽になったことを記憶しております。


しかし、母もまた霊媒体質であったが為に、そんな行為から、相手の悪いモノを吸い取っていたようです。


吸い取られた方は、母に、「悪いもの」が移ったわけですから、症状は改善します。


しかし、吸い取った方の母は、辛い目に逢うのです。


これは、手かざし系教団が行う、「手かざしの術」もまた同じ仕組みです。


「手かざし」は、相手の患部に手をかざすことで、高次元のエネルギーを放出して、体調を良くしてあげようと、するものですが、実は、かざした手の平から、エネルギーが放出するのではなく、手をかざすことで、相手の「悪因縁」を、吸い取っているのです。


悪因縁を吸い取られた被施術者は、一時的に、体調が改善したように思えますが、しかしそれは、あくまでも「一時的」でして、しばらくするとまた、自分に戻ってきます。


手かざしの行為をやればやるほど、身体が蝕まれ、心も安らぎを失い、本人も家族も「運気」が落ちてしまいます。


長くやればやるほど、抜け出せない、悩みの負の連鎖に陥ってしまいます。


いつの時代も、そうそう簡単には、人の抱える悪因縁は、解けることはありません。


本当に、手の平から高次元のエネルギーを放出して、人様を救いたい・・・と思うならば、高い神様のご指導の下で行う「修行」が必要です。


「浄霊は本当は難しいことだけど、ここの神様は特別な神で、特別に選ばれた人だけに奇跡を施してくださるのだ・・・、この“教え”を学ぶ人だけに、特別な神が、特別に、浄霊の業を与えてくださるのだ・・・」


そんな教えの下で、一生懸命、人助けや、自分の為に、手かざしの術を実践されます。


しかし、手かざしの実践を繰り返せば繰り返すほど、他人や土地などに憑依する「悪因縁」を吸い取ってしまいます。


しかし、それは何も「手かざし系教団」に限ったことではありません。


「奇跡」を詠う、ほとんどの個人から団体まで、「苦労もなく、あっという間に奇跡が起こる・・・」、「自分の崇拝する神様が、人間の為に、奇跡を起こしてくださる・・・」と、言います。


そんなフレーズで、信者集めをする者は、人の抱える「因縁」を軽んじたり、誤解しております。


簡単には消すことの出来ない、難しく広大で、なおかつ、人智をはるかに超える「悪因縁」の「仕組み」を、まったく理解しておりません。


人間に関わる悪因縁の、仕組みや質を理解していないところで行う「霊術」は、大変危険な行為です。


目に見えない因縁は、「浄めてはいけない因縁」や、「動かしてはいけないもの」がほとんどです。


それらを無理に扱うと、悪因縁が、どこに、どんな形で。周りに波及するか、見当もつきません。


因縁とは、とてもデリケートであり、また広大で深遠なものなのです。


一筋縄では、まいりません。


ですから、それらは大変、危険極まりない・・・と、言わざるを得ません。


また、みなさまが実際に、病状や状態が改善した人の「奇跡体験談」などを聞かれたとしても、そのほとんどが、まやかしか思い込み・・・と、考えます。


ofudo.JPG 


さて、前出の母は、そんな「因縁」の仕組みを気づいていたでしょうか


今思うと、そんな行為を行った日の夜は、長時間にわたって必死で仏壇に向かい読経しておりました。


吸い取った相手の邪気を、自分の身から振り祓う術を、一心に行っていたのかもしれません。


しかし私は、母が行おうとしていた、その祓いや浄めの術は、上手にできていなかったと考えています。


自分の身にもらった(移った)悪因縁を晴らす術が、満足ではなかったからこそ、母の半生は、波乱万丈であったのです。


病気に苦しむ母の姿は、とても哀れなものでした・・・。


ですから、私は母を慕い敬う一方で「母のようにはなりたくない」という思いを、強く秘めています。


母の半生を見て「母の人生は良くない・・・」と考えた時に、あれだけ一生懸命に神仏の信仰をしていたのに、なぜ母は不幸だったんだ・・・、と、考えてしまいます。


ですからきっと、神仏や信仰を、一切、否定して生きるならば、私は、母と同じ運命をたどることはないと、考えます。


しかし、頭ではそう考えたとしても、結局私は、神仏を否定できませんでした。


 


かつて、母が「神仏は私の命だから・・・」と、申しておりました。


その当時私は、その母の言葉を理解できませんでしたが、実は、私自身も、神仏におすがりしなくては、生きていけないような、様々な経験を、後に、することになりました。


そんな経験を通して、やはり神仏を無視しては生きていけない事を、この歳になって思い知らされるのです。


また奇しくも、神仏のご加護を深く実感した私の年齢は、母がひたすら仏様にすがっていた年齢と同じ頃でした・・・。


残念ながら、母の血を受け継いだ私は、やはり、母と同じ運命を辿って生きていかなければならなかったのです。


 


よく、神結神社にいらっしゃる方から聞かれます。


「霊能力は、遺伝するのでしょう?」


確かに、それは「遺伝」というものになるのかもしれません。


しかし、私の場合は、前出のような、幼少期からの様々な体験により、「神仏の存在」を疑うことなど、できない環境の中で育ってきたのです。


そこには、神仏を否定するような経験や生き方は、一切ありませんでした。


確かに、大好きだった、今は亡き母の、言葉や行動に、きっと、影響を受けているとは思います。


しかし、私が実感するところでは「霊能力は血筋・・・」というよりも、「どのような環境に身を置いてきたか・・・」と、いう「経験」が、大事な課題のように考えます。


そして更には「感性」という、すなわち「持って産れた感覚(様々な出来事の意味を、理屈を超えたところの心で捉えること)」が、それを決めるものと、考えております。


 


「霊能」とは、目に見えない「心」を判断する能力のことで、目に見えるものや、耳から聞こえるものや、肌身で感じるものから、その「裏側」にあたる「心情」を、読み取る感性のことを「霊能力」というのです。


 


私の場合は、それは生来より、自然と、身に付けている感覚であったと考えております。


ですから「霊能」という感性は、人が持ち合わせる「眼・耳・鼻・舌・身」という「五感」から受け取る情報から、「六根」と言われる「感情の分野」、すなわち「第六感的な感覚」で、どのように受取り、解釈できるかが、大事になるのです。


実は、その「六根」という、五感の奥の深いところにある感性は、人が、幾度も生まれ変わる「輪廻転生」のなかで、鍛え上げられるものです。


幾度も幾度も生まれ変わる中で、「感性を磨く」という課題に、何度も何度も取り組んできた経験と努力が、磨かれた「感性」となって現れるものでありますから、「血筋」というものとは異なるのです。


前世と前々世と、度々生まれ変わる毎に、あらゆる生き物の「心」に焦点をあてて、それを知る努力を重ねてきた者が、本当の「霊能力」を得て、霊能を発揮するものと、考えます。


例えば、歌を唄って人々を感動させる歌手も、演技や演劇を見せることで、人々の心に感動を与える役者も、作曲や楽器を使った演奏音楽で、才能を発揮するミュージシャンも、あっと人々を驚かせる美術品、芸術品を創作する美術家や芸術家も、スポーツの世界で、後世に残るようなすばらしい成績を納める人も、子供や老人などに、愛情を持って接することが出来る人も、教育者や政治家も、それらの職業に相応しい「能力」というものは、幾度となく行われる「輪廻転生」の中で、幾度も幾度も繰り返し取り組んできた「魂の経験」から、徐々に培われて開花する才能であるのです。


 


人間が持つこれらの能力は、実は、輪廻転生のなかで、積み上げ鍛えられてきた「感性」であるのです。


 


今世、私は、今の両親の子供として生まれてきました。


子供の頃から、神仏を疑う余地など、まったく無い環境に、身を置くことができたことは、本当に幸せなことでした。


そういった、今世の「出会い」もまた、自分自身の感性を発揮できるために、とても大事な要素であります。


これを「縁」と言います。


 


その「縁」はまた、私の現在の家族とも、深く結ばれました。


その家族の縁が、私の命を救ってくれました。


過去に、こんなことがありました。


 


それは、私の娘が2歳の頃でした。


当時単身赴任をしていた私は、人生上で大きな汚点を犯し、そのことが世間に露見してしまいました。


 


生きる希望を見失った私は、すっかり荒んだ心の状態に陥ってしまいました。


生きることが辛くなり、自信喪失に陥った私は、「自殺」をしようと思い立ち、当時の単身赴任先で、手首を切って死のうと、考えました。


そして、ある日の休日、私は、死ぬ為の準備をはじめました。


まずは部屋の掃除からはじめ、荷物の整理をしました。


そして最後に、お風呂のお湯を、浴槽いっぱいに貯めました。


次に、手首を切るための包丁に、じゃぶじゃぶと洗剤をつけて、何度も何度も、納得のいくまで洗いました。


包丁を洗いつつ、ギラギラ光る包丁を見つめては、その鈍い光に陶酔しました。


その時の様子はきっと、鬼気迫る雰囲気を出していたに違いありません。


そのあと、妻と両親に向けて「遺書」を書きました。


 


問題が露見してから、悶々と物思いにふける時間が長くありましたが、その時だけは、泣きました。


ひたすら、泣きました・・・。


とめどなく、次から次へと、涙が溢れ出ます。


そんなときって、不思議です。


まったく、「声が出ない」のです。


ただ黙って、涙だけが、とめどなく流れのです。


涙で濡れてしまった遺書の書面を、タオルでふき取り、妻と両親のあて名を書いて、そしていよいよ、包丁を片手に持って、お湯がたっぷり入った浴槽の前に立ちました。


もう、一点の迷いもありませんでした。


左腕を湯船に入れて、右手で握った包丁を突き付けた時です。


りーんりーん・・・。


携帯電話が鳴りました・・・。


 


私の記憶の中では、確かに、携帯の電源は切っておいたはずでした。


私は、何かに付き動かされるようにして、握っていた包丁を手放し、衝動的に、フラフラと、電話に出てしまったのです。


 


「もしもし!パパ?」


 


電話をしてきたのは、2歳になる我が娘でした。


 


いつもは、妻がかけてきて、そのあと子供達に代わるパターンでしたが、このときは娘が生まれて初めて、最初から話をしてきたのです。


「何してるの~、ぱぱ~?」


「え?えっと・・・今?そうだね・・・、おうちのお掃除をしていたところだよ・・・」


まさか、「今ね、死のうとしていたんだよ・・・」なんて、口が裂けても言えるはずもなく・・・。


同時に戸惑いましたのは、まさかこのタイミングで、電話をして来るなんて、まるで、2歳の娘や妻に、私の今の行動を、すっかり見透かされているかのようでした。


もちろん、遠くに住む家族に、私の様子が見えていたわけではありません。


そして、私のしでかした失敗は、一切、妻には話しておりませんでしたので、私の現状を知る由もありません。


本当に、不思議なほどのタイミングで、電話を掛けてきたのです。


私は、その娘の電話で、我を取り戻しました。


「あー・・・そうだった、やっぱり死んではいけないんだよな・・・」


と、思い返したのです。


 


あの時、もし、携帯が鳴らなかったら、今、ここでこうして生きてはいません。


あの当時を思い出すと、あの時死のうとしていた私は、まるで「悲劇のヒロイン」気取りでした。


私の死によって悲しみに暮れる皆に、少しでも自責の念を抱かせることができたら、私の死は必ず報われるなどと、ほんとうに、自分勝手で稚拙な考えでおりました。


 


ここでこうやって生きているのも、家族の支えがあるからです。


まさに、「縁」の賜物であるのです。


そしてそれこそが、神様より賜った「奇跡」でありまして、ありがたい仕組みであったのです。


この「妙」ともいえるタイミングで、私は救われました。


現世の、両親の子として産まれてきたこと。


そして、かけがえのない妻との出会いと、結婚。


後に、息子が生まれ、娘が生まれ・・・。


 


私は、「この素晴らしい家族の縁を結んでくださったのは、間違いなく神様だ・・・」と、この時ばかりは、深く覚りました。


そして、この世に産まれ出たことを、何よりもありがたく思い、これこそが「奇跡」と呼べるものだと、胸に深く刻むことができ、初めて、自分の生命に対して、手を合わせて祈ることができたのです。


繋がる命、支える命・・・。


そして、「生きること」で、私を守り、導いてくださる存在と・・・。


まことに「縁」とは、とても不思議でありがたいものです。


この経験を通じて、私たちは、決して「ひとりでは生きて行けない」ということを、覚ることができました。


 


人の世は、まことに苦しく難しいことばかりだけれど、自分自身の命を大事にすること、家族の縁に感謝し、人を大事にすること、それこそが、この世の唯一の「信仰」と考えて、それを実行することで、この厳しい世の中を、生きていくことができるのです。


この世の、唯一にして真の信仰と言えるのは、「命を大事にする」ということを基本に、「縁」で繋がる、他の者の命と共に、どのようにつながって、どのように支えて、どんな風に支えられるか・・・、と、いうことを教えるものが「宗教」であり、それを学び実行する姿勢を「信仰」というのです。


 


自分の命や、家族の命を軽んじる者が、いくら念仏を唱えようが、お不動様を敬い祀ろうが、社寺の役員を勤めようが、数多くの神社仏閣に参詣しようが、書籍やインターネットの記事を読み漁ったとしましても、幸せにはなれません。


最も大事な「命」を、敬い大事にせねば、それは「信仰」とは言えないのです。


 


なぜならば、「命」は「神様」そのものであるからです。


私たちの「命」は、神様よりいただいた「唯一無二」のものです。


いわば、私たちの命は、「神様の分身」でもあるのです。


その、神様である私たちの「命」を、この世で最も大事にすべきです。


まずは、自分の命に向かい手を合わせ、命へ感謝して、命の繁栄を祈願することこそが、まことの「信仰」であるのです。


その次に、私たちの大事な家族から、友人、知人へと、この世で結ばれた「縁」に感謝しながら、それぞれの人の命を大事に思い、それぞれの命に向かい、手を合わせ感謝申し上げるのです。


 


私たちは、私たちの命を「命は自分の物だからどうなろうが勝手だろ・・・」と、言うのです。


そんな意識で生きていると、そのうちに「生気」が落ちます。


自分の命を軽んじる人は、他人の命も軽く扱おうとします。


「命を大事にしたい・・・」


と、思う人は、自分の命と、他人の命も、大事と思えるのです。


 


世の中は「因果応報」の仕組みで成り立ちます。


「大事」と思えば大事にされます。


「どうでもよい」と思えば、「どうでもよい扱い」を受けてしまうのです。


これは、自分自身の「運」を決める大事な要素です。


日頃の自分自身の、命への考え方や向き合い方によって、「良い運気」と「悪い運気」が決定するのです。


 


「開運」と称して、例え、有名なパワースポットに好んで出かけたとしても、「命」にきちんと向き合い大事にする努力を積まねば、決して開運などはいたしません。


ここの神様は〇〇に効果がある・・・などと言う情報に振り回されるような「ご利益信仰」は、最も大事にしなければならないものや、物事から、目を背けさせることにもなります。


そういった意味では、人々に、ご利益を得るように誘導する、現代の宗教界は、重大な罪作りであると言えるでしょう。


 


私たちにとって、この社会で生きていくために、一番大事なことは「良縁」という、人と人の間柄でしょう。


この世は、ひとりでは生きて行けません。


必ず、だれかと関わって生きて行かねばなりません。


その、自分に「関わる人の縁」は、自分にとって「良いもの」でなければ、苦境、苦痛に至ります。


 


「良い運」とは、これから先に起る出来事や、出会う人が、自分にとって「良いもの」であると、いうことです。


自分にとって、悪い出来事や悪い人との出会いを「悪縁」といい、良い出来事や良い人との出会いを「良縁」というのです。


これから先の、未来に起る出来事を良いものにして、人間関係を良縁で結びたい・・・と思うならば、まずは「自分の命を大事にすること」が、良縁成就の為の鍵です。


 


私は、大事な家族の縁により、この命を助けてもらいました。


妻と子供たちと、とても良い、大事な縁を結んでいただきました。


この大事な家族の縁を導いてくれたのは、私の父、母と、妻の父と母。


そして、自然豊かで素朴な環境の中にあった、のどかな村の環境です。


更に、忘れていけないのは、村のお地蔵様や土地の神々とのご縁です。


ですから、「縁」は「命」で繋がれ、「命」は「縁」で、守られるのです。


 


大倭神道のご導神は、このようにおっしゃいました。


「自分の命と、あなたが大事とする者の命を、この世で最も大事にすべきもの・・・と、思いなさい。


縁でつながるすべてのものは、良いことも悪いことも、すべて、あなたと共有するものですからね・・・


いいですか・・・これは心に刻みなさい


敬い、拝むべきは、「命」ですよ・・・


そうでないと、良い縁は、結ばれません。


最も、大事なことを疎かにしては、幸せにはなれませんよ・・・」


この神様のお言葉を実行すれば、運気が良くなり、これから生きる未来に、例え辛いこと苦しいことがあろうとも、乗り越えていける為の、力が沸いてくると、いうことです。


 


困難を制する力のことを「生命力」と言います。


生命力にあふれていると、次第に、悪い事柄や悪い者は、近づいて来なくなるものです。


これを「良運」と言い、「良縁」に恵まれるきっかけになるのです。


なかなか良い人と出会えない・・・と嘆いているみなさまは、自分自身の言動や潜在意識が、後ろ向きになり、悪い気を放っていることに、気づかねばなりません。


「良縁」とは「幸福感」から出るものです。


幸福感を得るための、現世での努力が大事なのです。

 

 

 

今日の予定